2017年10月28日

母。

先週の金曜日、帰ってくるはずの母は、帰ってこなかった。
海外旅行が好きだった母、旅行中にいつか私の携帯に電話が鳴る日が来るかもしれないことを、心のどこかでずーと前から覚悟している自分がいた。
それが現実のなった時、私は自分でも驚くほど冷静だった。
母は、ペルーから(ロサンゼルス経由で)羽田空港に着陸し、国内線乗継のためにスーツケースを取りにいくところで、体の不調を訴えた直後、この世に帰らぬ人となった。(エコノミー症候群による肺血栓が原因とほぼ断定)。
父は14年前に他界しているので(明後日が命日)、兄と連絡を取り合って、まずは愛犬フェリーチェに朝ごはんをあげてから、すぐに羽田に向かった。

母と対面したとき、あまりに安らかな表情と、清らかな姿に、”そんなに苦しまなかったかな”と思い、どこか安堵した。
母の顔や髪を撫でたとき、指先から手がぽかぽかと温かくなって、不思議だった。今までずっと素直になれなくて、反抗ばかりしてきたけど、本当は母が心から愛おしかった。動かなくなった母を、”ありがとう”と思いながら初めて撫でることができて、救われるような、優しい気持ちになった。

母は、よく言っていた。
海外旅行を楽しんだ帰りにパッとあの世に行けたら本望よ、と。
母と一緒に旅行に行かれてたいたお友達と、帰りの飛行機の中でもそのようなお話をしたらしい。
母の所持品のカメラや携帯の写真から、神秘的なマチュピチュ遺跡やナスカの地上絵を見学し、異国の文化に触れて、この上なく楽しんでいた様子がうかがえる。
きっと、この世に心配事がなくなり、未練がなくなったときに、ふわっと舞い上がったのだな、と思う。

突然って、突然だろうか?と思う。
やはり、そうなるべくして、実はその点に引き寄せられるように成り立っているように思える。

そして、人生はなるようになっている、ということ。
生きているときにはわからない。うまくいかないことだってある。苦しいことだってある。
でもそれらは、終わりの地点が決まった時に、全てに意味があったことを教えられる。
終わりが、その人の人生・運命を教えてくれるし、また、残された者はそれを受け止めて、これからも修行していくのだと。

母の遺影を父の遺影の隣に置いてみた。
なんだ!このお似合いの二人は!
兄と二人で驚いた。
生前、喧嘩ばかりしている夫婦だった。
それが今、二人が本当の愛で結ばれたようにしか思えなかった。
こんな夫婦のかたちもあるのだな、と思って感動した。
なんだかんだ強がりを言って、やはり父に守られている母がかわいくて、二人の遺影を見ると、笑顔になる。
そんな二人の間に生まれて、誇らしく思う。

悲しみや寂しさはもちろんあるけれど、
それより、父と母にこれからの人生にパワーを与えてもらっている気がして、前向きな自分がいる。

母に教えてもらったことは人生の宝物。
私の思想となって、私の中に生きていて、そして、私の出会う人たちに伝えられていく。
本当に、清く美しく強い女性だった。

母は、自分の生きる指針になるもの=ピアノを大切にしなさい、と最近も話していた。
あなたの人生を大切にするのよ、子供はいつか巣立っていくものだからね、と。
母の言っていた言葉が身に染みる。
母が亡くなってすぐ、ヤマハも大学もレッスンはいつも通り行った。今日も終日、自宅のレッスンだった。
私らしさがそこにある。ピアノがあると、自分を見失わない。
母が厳しくて何度もやめたかったピアノ、35年継続してくる間に、ピアノとの関係が変わってきた。
こんなに大切なこと一貫して教えてくれた母は、偉大だった。

私の今までの人生のレールは母が敷いてくれた。本当に心から感謝している。
不思議と、これからは自分の足でこの先の道を開拓していく希望に満ちている。
こんな前向きな気持ちにさせてくれるなんて、最高の母だ。
母の娘であることを誇りに、私はこれからの人生を日々一生懸命に生きていく。
命ある限り、母のように清く美しく強く。

お母さん、ありがとう!
どうか、お父さんに見守られて、安らかに眠ってください。

DSC_3214.jpg
ペルー旅行に行く一週間前、私と旦那の誕生日をお祝いしてくれた時の写真。
家族みんなで過ごした”幸せの時間”。
posted by kaorina at 20:25| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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